言葉あそび575交心

遊行期に入った鄙隠り老仁ですが、与命の楽しみを、575であそんで、イメージトレーニング。呆け防止のあそびとして、交心もらえるとHappyです。

一休さん『 骸骨 』01w04を遊ぶw04『 優遊と楽天舞いぬ蝶


★ 。・。・゜♪゜・。・。★一休さんの『 骸骨 』を遊ぶ★ 。・。・゜♪゜・。・。★





★ 一休さん『 骸骨 』01w04を遊ぶw04w12x0307

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優遊と楽天舞いぬ蝶の春

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> 啓蟄の虫も唄えり骨の歌   仁

 この575に、やまちゃんより、<地中の中で春を待ち望んでいる虫が骨の歌をうたっている。想像しているだけで愉快です。> という交心をもらいました。
<想像しているだけで愉快です>、が嬉しいですね。
 何、これ。さっぱりやわ、と普通なら無視して通り過ぎるところでしょうけれど、立ち止まって、しかも想像してもらったんです。
 やまちゃん、ありがとうございます。
 一休さんの『骸骨』も、何、これ、と立ち止まって、好奇心開いて、想像してもらわないとはじまらないんでしょうね。
 「骸骨」はもうずいぶん早い段階から一休さんの思想の核に坐っていたようです。隠れ往生の初体験としての一回目の自殺未遂の時がそのはじまりではないかと凡愚老仁には思われます。

 > 門松は 冥土の旅への一里塚 めでたくもあり めでたくもなし   一休

 野晒しの骸骨を拾ってきて、棒の先につけ、一休さんは正月に、京の町家を歩き、家にこの骸骨を振り回して、「この通り、ご用心。この通り、ご用心」と呼び回ります。
 この世は権力者たちが欲の皮突っ張って贅沢三昧に生きている。そんな権力者たちにだまされて生きて本当におめでたいと思ってはならぬ。このことに早く気がつかないとこの骸骨のようになってしまうよ。
 <もろもろ国土に生まれ来るもの、一度虚しくならずという事なし。>
 <かようのことを知らずんば忽ち地獄に入るなり。>
 と一休さんは『骸骨』で語りかけます。


 ご用心欲も失せけりおぼろ月


 回生煩悩甦るも好し   仁


 病も老いも、いつでもどこでもじわじわ迫ってきます。死は前触れもなく襲いかかってきます。たとえどんなに生き存えたとしても、必ず死はやってくるんです。
 死を怖がってもしようがない。悔やんでも絶望してもしょうがない。死ときちんと向き合って、生きている今を一生懸命、大切に生きる知恵を養生しましょうよ。その知恵を知ったら今日を喜んで、味わって生きることができるようになるんだよ。
 さぁ、いっしょに、その玄妙な命の歓喜を、みんなで、生きていこうじゃないか。この世を楽土として楽しんで生きようじゃないか。
 天災人災の世の中を地獄のように生きている人々に、言葉で分かるように、形で分かるように、一休さんは、骸骨を振り回して語りかけたり、『骸骨』のように仮名書きの絵草紙を書いて呼びかけていくんです。
 権力闘争と貴族文化の腐敗の中で疎外された人々に人間性の回復と解放を説く一休さんの運動は日本のルネサンスといえるでしょうし、また宗教革命ともいえるものなのでしょうね。
 『骸骨』後の一休さんの文化活動は凄いんですよ。
 その精華が『狂雲集』でしょうけれど、一休さんが創生する文化大革命は近世、近代の文化の源泉となっているといってもいいのでしょうね。


 おのずより相寄り交わす花と蝶


 風も光も舞踏の調べ   仁


 酔い痴れて髑髏すみれを喰らいけり


 虚空にゆらぐどくろの微笑   仁





 一休さんがどうしてそんな人間革命を成し遂げることができたのかの足取りを辿ってみたくなります。けれどそんな能力は凡愚老仁にはありませんので、凡愚老仁風に一休さんの幻視する人間革命の彼方を遊泳してみたいと念じます。


 お師匠さんの謙翁さんが死んでしまって、道標をなくした一休さんは生きる目標まで失って、自殺しようとしました。それを知った母は、一休さんに遺書を書きます。<お釈迦さんも達磨さんも奴にするくらいの人になれ>と一休さんを諭します。謙翁さんが死んだくらいで生きる目標も力もなくして一体今まで何を謙翁さんに学んできたんだ、と叱咤しているんです。謙翁さんがいなくなったら、一休が謙翁さんを生きればいいんだ。謙翁さんに頼る心を殺せ。お釈迦さんも死んだ。達磨さんも死んだ。一休よ、お釈迦さんを生きよ。一休よ、達磨さんを生きよ。この母が死んだら、一休よ、この母を生きよ。
 南北朝抗争を生きぬいてきた母のスタンスです。後小松天皇の子どもとして一休を育てあげる母の観音力でしょうか・・・
 母に天皇の子どもとして生きる道を教えられ、6歳で出家させられ、英才教育を受けてきた一休さんです。早熟な文芸の才能も開花していました。ある意味光源氏のような未来が保証されていたと考えてもいいのでしょう。一方で禅門で修行してもその禅門も寺院も政権も権力闘争に明け暮れ堕落腐敗してしまっています。本物の禅風の師を求めて出会った謙翁師匠です。徹底した無一物作風を貫いたのでした。一休さんの内部で王朝作風と無一物作風が鬩ぎ合いつづけていたのでしょうね。一休さんの生涯はこのせめぎ合いの格闘だったといっていいのかもしれません。
 けれど最後の十年間に、王朝作風と無一物作風の矛盾を超克する方便を創出することができました。森女さんとの愛惚け往生です。森女さんとの愛を弥勒愛へ昇華することで命の散華を生きることができたのでした。

「骸骨」を生きるということは、虚仮の世間に執着する自分の心を一度も、二度も、殺して、無一物時空に解き放たれた命のあるがままを生きるということでしょう。虚仮世間に執着する自分の心を煩悩と呼ぶのでしょうけれど、その虚仮世間に執着する自分の心を殺すことを「隠れ往生」と呼びたいと思います。素戔嗚さんに怒った天照さんは天の岩戸に隠れました。天災人災の過酷な状況に直面したら、一休みして、待機するという方便です。日はまた昇る。冬はやがて春に変わる。四季の転移、死と再生の転移を、隠れ往生で、自分の命の転移として創生していくんです。

 一休さんの『骸骨』を生きることで、この地獄の世の中を、自遊な楽天楽土として楽しみ、喜び、味わって生きていけるんだよ、という人間賛歌の絵入り仮名草紙が『骸骨』なのです。


 優遊と楽天舞いぬ蝶の春


 戯れ骸骨共に遊ばん   仁





★★★ 一休さん『 骸骨 』01w03を遊ぶw01『 啓蟄の虫も唄えり骨の歌 』w12x0306 への交心です。 ★★★
 



★ 一休さんの『 骸骨 』01w04を遊ぶw12x0307

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菜の花に日に日に蜂の添いに来る

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 やまちゃん、交心ありがとうございます。
 虫たちの春がやってきますね。命の張る、虫たちの躍動。羽音も鳴き声も所作も、みんな命の歌に聞こえるようです。息吹もハーモニーですね。
 一休さんの『骸骨』を読んでいると、そんな春の息吹も感じるようになります。
 骸骨になってみて感じるあるがまんまの命の唄なんでしょうか・・・


 菜の花に日に日に蜂の添いに来る


 短い蜜月鳥に食わるな   仁





★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★



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