人間らしい心はどっかに置き忘れてしまっている *
可愛いとおだてられ、好きだよとのせられて、夢中になる
悪口言われてキレテしまい、つまらんと貶されて落ち込んでしまう。
名誉や権力を手に入れることを生きる目的だと思い、
儲けることばかりに心身をすり減らして、心を病んでしまう。
そうしなければ幸せになれないと思いこみ、
立身出世街道を脇目もふらずまっしぐら・・・
人間らしい心はどっかに置き忘れてしまっている。
。。。『 タオ 13章 一人は万人のために(1) 』
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これは、TAO13章の老仁の自己流訳です。
中高生が読んでもわかるように、中高生の現実を題材に解釈してみようと試みます。
もうすでに、加島祥造さんがとてもわかりやすい『 タオ 』という本を出していらっしゃるので、模倣か、亜流になってしまいますが、少しでも身近にいる中高生に何か生きることのすばらしさや不思議さ、驚きや喜び、希望や勇気や、そんな生きる力のヒントになればというのが、実は老仁の私かな願いなんです。こんな語りかけをきっかけに、中高生の皆さんと対話できるようになればいいなぁと待っているんです。
気づきや夢見る力を、自由な発想で伝えることができるならHAPPYですよね。
難しい理屈はよくわかりませんので、独りよがりな老仁解釈になってしまいますけれど、のんびり、ゆったり、発信していきます。
小さな世界からの小さな気づきと小さな幸せの発信として受け止めてくださいね。
大切な心のままに生きる
生呼さんよりコメントいただきました。
ありがとうございます。
仁 。。。≪
<どこかで教わったどうでもいいことではなく
本当に大切な心のままに生きる> 。。。
そうなんですよね。このことを伝えることができればと願っています。
<大切な心>を大切にしたいと誰もが願っているんですけれど、さて、<本当に大切な心>って、一人ひとり違いますし、具体的な出会いと共生の中でしか見えてこないものなのかもしれませんけれど、だからこそ、呼びかけて、出会って、語り合って、理解を共有し、お互いに自立者として自己実現をなしていきたいと願います。
まずは語り合い、一緒に創りだしていこうよ、という関係や場になっていくようにしたいです。
「みんな違って、みんないい」が当たり前のように語られるようになったことをとても嬉しく思います。けれど、実際は、それぞれの違いを認め合うということはとても難しいことなんですね。違いを認めて、違うから学べるという発想で生きていける人は少ないように感じます。頭の中でわかっていることと実際の行動や感情は別物だってことが多いんですよね。<あるがまんま>を生きる力を持っているなら、違いを違いとして認め合い、学び合い、補い合えるようになるのでしょう。
<大切な心を思い出すのに多少の努力がいる> 。。。
たくさんの自己防衛のバリアを張り巡らせて生きてきたといっても過言ではないくらい、いまの中高生、青年は、<あるがまんま>を生きる力を失ってきたし、奪われてきたように感じます。だから、呼びかけて、語り合って、一緒に探し出し、束縛からの解放を求めたいですね。みんなが一番欲しがっているものは<あるがまんまを生きる力>なんだと感じます。 ≫ 。。。