言葉あそび575交心

遊行期に入った鄙隠り老仁ですが、与命の楽しみを、575であそんで、イメージトレーニング。呆け防止のあそびとして、交心もらえるとHappyです。

見届ける命の糧の十年の日々を抱きて今日を歩きぬ

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★★★ 『 見届ける命の糧の十年の日々を抱きて今日を歩きぬ 』 ★ 瘋癲老仁妄詩 13802z080125 よりの【 転載 】です。 ★★★






★ 瘋癲老仁妄詩z08z0125

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見届ける命の糧の十年の日々を抱きて今日を歩きぬ

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 愛呼がいい風吹かせてくれたので、
 今日という日に、
 十年の未来と、
 老仁の命の糧を、
 観ることができ、
 創りだすことができるようになりました。

 そうなんです、これは、
 まだ、老仁が、十年は生きていけるという予兆なんです。

 ちょっと長生きもしますけれど、
 今日という一日が、
 何をする暇もないくらい速く過ぎていき、
 何もしなくていいほど暇な時間でもあるので、
 楽しくひとり遊びをやっていれば、
 あっという間に、十年が来てしまうのかもしれません。


 けれど、老仁自身は、暇仁でも、
 無為を遊んでいても、
 命の糧は、日々を精一杯生きて、
 日々を変貌し、
 日々を自己実現していくのですから、
 十年の日々は、濃密な時空を形成しているのです。
 さまざまな色合いの花が咲き、
 さまざまな辛苦も、歓喜も、
 さまざまなフィクションも、ドラマも、
 内蔵され、湧出し、
 泡沫とも消え、
 創造もされていくんです。

 老仁の日々の中に
 それを写し取る魔術を老仁は手に入れることができたのでした。


 共振の術は、世界を内蔵させることもできるし、
 歴史を遊泳することもできるんですよ。

 無為自然とか、
 桃源郷とか、
 風狂とか、
 妄詩の時空では、湧出する命のバリエーションなのかもしれません。

 どの命のモードを選んで遊ぶのかは、
 主体者である老仁の自由であるんです。


 愛呼は、我が儘で、
 好奇心旺盛で、
 欲張りで、
 行動派で、
 遊びの達人だから、

 愛呼に遊んでもらっている間は、
 老仁は、いつでも、空っぽで、
 愛呼の真似をしていれば、
 至福の時を流れているんですよ。

 最近の愛呼の好奇心は、
 人間の心の内部に向いてきて、
 ミクロの決死隊のように、
 心の襞を探検したいと言い始めてもいるんです。





★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★



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