見届ける命の糧の十年の日々を抱きて今日を歩きぬ
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 瘋癲老仁妄詩 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★★★ 『 見届ける命の糧の十年の日々を抱きて今日を歩きぬ 』 ★ 瘋癲老仁妄詩 13802z080125 よりの【 転載 】です。 ★★★
★ 瘋癲老仁妄詩z08z0125
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見届ける命の糧の十年の日々を抱きて今日を歩きぬ
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愛呼がいい風吹かせてくれたので、
今日という日に、
十年の未来と、
老仁の命の糧を、
観ることができ、
創りだすことができるようになりました。
そうなんです、これは、
まだ、老仁が、十年は生きていけるという予兆なんです。
ちょっと長生きもしますけれど、
今日という一日が、
何をする暇もないくらい速く過ぎていき、
何もしなくていいほど暇な時間でもあるので、
楽しくひとり遊びをやっていれば、
あっという間に、十年が来てしまうのかもしれません。
けれど、老仁自身は、暇仁でも、
無為を遊んでいても、
命の糧は、日々を精一杯生きて、
日々を変貌し、
日々を自己実現していくのですから、
十年の日々は、濃密な時空を形成しているのです。
さまざまな色合いの花が咲き、
さまざまな辛苦も、歓喜も、
さまざまなフィクションも、ドラマも、
内蔵され、湧出し、
泡沫とも消え、
創造もされていくんです。
老仁の日々の中に
それを写し取る魔術を老仁は手に入れることができたのでした。
共振の術は、世界を内蔵させることもできるし、
歴史を遊泳することもできるんですよ。
無為自然とか、
桃源郷とか、
風狂とか、
妄詩の時空では、湧出する命のバリエーションなのかもしれません。
どの命のモードを選んで遊ぶのかは、
主体者である老仁の自由であるんです。
愛呼は、我が儘で、
好奇心旺盛で、
欲張りで、
行動派で、
遊びの達人だから、
愛呼に遊んでもらっている間は、
老仁は、いつでも、空っぽで、
愛呼の真似をしていれば、
至福の時を流れているんですよ。
最近の愛呼の好奇心は、
人間の心の内部に向いてきて、
ミクロの決死隊のように、
心の襞を探検したいと言い始めてもいるんです。
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