疑いながら、信じながら、一緒に生きていこう
風呼さんの日記『 信じる 』
を訪問してきました。
信じることの大切さ、信じる力の大きさを、もう一度考え直させてくれました。
人間ってこんなもんだと、ある意味、マイナーになって、諦観的に把握し、どこかで人間不信に陥っていた自分がいることをあらためて思い返させてくれました。
若い人の心に触れると、失ってきたもの、等閑にしてきた心、大事にしなければならない物・・・そんな心と向き直りさせてくれます。
仁 。。。 ≪
<たとえ、
裏切られても、
見放されても、
疑ったりしないよ。> 。。。ほんとうに信じる力って大きいね。
こんな信じる力を持ち続けるようになりたいと願ってきました。けれど、愚仁のできることではありませんでしたよ。裏切られる前に裏切ってしまう自分がいます。見放される前に見放してしまう自分がいます。出来事の表面しか理解できずに、なぜこうまで行き違いが起こってしまったり、一時の感情に踊らされてしまったりするんだろうと、そんな自分に疲れたり、嫌気がさしたり・・・凡仁の常なんでしょうね。
けれど、それでも、やっぱり、信じる力を持ちたいと願いつづけます。自分に起こることは、人にも起こること。
自分が信じ切れなかったら、人も信じ切れるはずがない。自分を疑うように、人も疑い、
自分を信じるように、人も信じていこう。疑いながら、信じながら、一緒に生きていこう。
そう、言い聞かせながら、小さな自分を運んでいきます。
そんな小さな自分が、小さいから大好きなんです。信じ続けたいから、疑い続けて、心を開いて、語り合っていけたらいいなぁと思います。疑ったら、こんなに疑ってしまった、ごめんと言い、嫌気がさしたら、そんなことするあなたは嫌いだよ、ごめんねと言い、それでもつき合ってくれたら、ありがとうと言う。それが受け容れられなくて、その人が去っていっても、それは仕方のないことだ。いつか、分かり合えるときが来て、又、同じようにつき合うことができるんだと信じているんです。今は、お互いわかり合えなくっても、いつか振り返って、いつか気づいて、深いところでつながり合っていることを知ることができるでしょう。別れても、一緒。疑っても、一緒。そして、信じても一緒。求める心があれば、いつでもつながり合えるんです。愛する心は小さな私を包み込んでいるのです。
風呼の『 信じる 』を、五行歌に組み替えてみました。
『 信じることは大きな愛 (1) 』 by 風呼
仁爺のひとり遊びをご了承いただけるとHAPPYです。
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